大人っつーか、餓鬼っつーか 《4》




 言い返す気力もごっそり削がれた俺を尻目に、まだくすくす笑いながらハヤトが立ち上がった。
 何する気だか知らねえけど、目で追ったら自分の勉強用の机に用があったらしい。
 引き出しを開けてごそごそやった後、ハヤトはさっきまでいた位置に座り直して俺を真っ正面から見つめてる。
「怒った?」
「……別に、怒っちゃいねえけど」
 単に照れて俺が一方的に熱くなっただけだし。なのにハヤトはしんみり言った。
「からかって悪かった」
「いや、ハヤトが悪いんじゃねえって。だって、本当は解ってんだぜ? ハヤトの、そういうのって冗談なんだ、って。けどいっつも俺、余裕ねえっつーか、反応しすぎるっつーかになるから、な」
 ……だから餓鬼なんだよな。とか思い知らされてる俺を、ハヤトの腕が抱き寄せる。
 突然だったから結構びっくりしてどきっとしまくる。

「リュウジ」
 密着した胸を伝って俺の心拍数を知ってそうなハヤトが、すごく落ち着いた声音で呼んでくれた。
 続く言葉。
「誕生日おめでとう」
 続く仕草。
 ハヤトは背中に回してぎゅっとしてくれた後に腕を解いて、俺の左の手首をとった。
 俯いたままのハヤトの青い髪が俺の目の前で揺れている。
 え……何? 何、だ?
 指に冷たい違和感があった。
 直後に俺の視線と同じ高さに来た表情が、ふうっと緩む。
「オレからの本当のプレゼントは、こっち」
 ハヤトが握ったままの手首に視線を移す。
 冷たい感じは、左手の指に嵌められた銀色が放つものだった。
 温度的には冷たいけれど、本当の意味ではそれが最大限にあったかいもんだって知ったのは、ハヤトがどっかはにかんだ感じに笑ったからだ。
 ハヤトが、嵌めてくれた。
 俺の左の薬指に、指輪をくれた。


 それは見覚えのある形をしてた。
 しっかりした幅があって、打ち寄せる波に見える細工がしてあるシルバーの指輪だ。
 前に、ハヤトと一緒に中華街に遊びに行った時に見つけたやつによく似てる。
 似てるって言うより、その時に見たやつなんだろうって思う。
 その時は、ハヤトと揃いの指輪を買おうってことになってたんだった。
 出掛けた先の中華街のメインの通りをを外れたとこの、もうちょっと広い意味でのアジアっぽい雑貨屋に入って物色してた時に見つけたやつ。
 我ながらかなり気に入ったんだったって覚えがある。
 店の人にサイズ測ってもらって、試しに嵌めてみたら指にしっくりくる感じがしたし、見た目もすごく好みだった。
 これはどうだ? ――って、ハヤトに尋ねたと思う。
 それへの返事は若干微妙だった、って記憶している。
 そうか、ハヤトはあんま気に入らねえんだな。じゃあしょうがねえよな。こういうのって、どっちもが気に入ったのを贈りあうのが一番いいんだろうな、ってのは解ってたし。
 そのうち何かのきっかけで、ハヤトも俺もどっちも気に入るのが見つかったらってことにすればいいか、と納得したんだった。
 だから、今まで忘れてた。


 ええと……、ええっと……? これってのは。
 すっげえどきどきしながら口を開きかけたんだが、うまい言葉が見つからねえでいる。
 そんな俺の反応を見ていたハヤトがこう言った。
「よかった。サイズ間違ってなくて」
 これまでさんざん見せてもらってる俺とふたりっきりの時のハヤトのいい表情なんだけど、今のはいつもよかもっともっと極上級の笑顔に見えた。
「これ、リュウジ覚えてる?」
 訊いてきてくれたんで、ようやく俺も答えられる。
「おう。覚えてるぜ。あれ、だよな? 前に、中華街行った時のだろ?」
「ん。リュウジが気に入ってたみたいだから、ずっとこれにしようって思ってた」
「ずっと……ってのは?」
「次のリュウジの誕生日に、これをプレゼントしようって決めてたんだ。あのときから」
「え、えーと」
 ハヤトの言葉の意味がいまいち掴みきれずにいる。
「だって、あん時って。違うだろ? あん時、これ――指輪選びに行ったのって、こういう理由じゃなかっただろ?」
 ふたり一緒の、揃いの指輪を買おうって約束だったはずだ。まさかハヤトがその前提を忘れているとはさすがに思わねえけど。
「確かにそうだった」
 ハヤトもそもそもの出だしは覚えているようだ。
「けど、あの場のノリだと割り勘ってことになっただろ? オレ、やっぱりリュウジにはオレからプレゼントしたいと思ったんだよ。リュウジがこれ嵌めてるのを見た瞬間に」
「って、ハヤト……」

 俺が気に入ったのを覚えててくれて、それを誕生日に贈ってくれたハヤトの想いは単純に、純粋に、すげえ嬉しい。
 嬉しいことは最大限に嬉しいんだが、でも、何つーか、引っかかる。
 引っかかったままでいるのは主義じゃねえからきちんと言う覚悟を決めた。
「けど、それじゃ意味、やっぱ違うだろ? 俺、単にこれが気に入ったから欲しかったんじゃなくって、ハヤトと揃いの指輪ってのが重要で……な?」
「ん。それはわかってる」
 こくっと頷いたハヤトは、不思議なほど真剣な目で俺を見た。
 ここまでずっとやわらかく笑ってたのに、やたらと引き締まった顔になった。
 あれ? って思った俺の前に、ハヤトの握られた右手が来る。
 手首をくるっと逆に向けて、でもって拳がはらっと開いた。
「これ」
 掌の真ん中に在る、銀色の輪っか。
 それは今さっき俺の左の薬指に嵌めてもらったのと同じ形の、俺のよか幾らか径の小さい指輪、だ。
 子供が言い訳する時みたく目を伏せた、ハヤトの声が小さく耳に届く。
「リュウジとペアの指輪は、どうしてもオレがふたつとも用意したかった。わがままでごめん」

 何だこれ? 何だよ、これは?
 俺、すっげえどきどきしてんだけど。
 嬉しいとか、そんな簡単な言葉じゃ到底追いつけないくらいの気持ちになってんだけど。
 
 ハヤトの視線が上向いて、な? って感じで訴えた。
 おう、って頷いて、親指と人さし指で、掌に乗っかった輪っかを摘む。
 俺の左手がハヤトの左の手首をそっと取る。
 5本ともすんなり形のいい指だよな、とか思いつつ、そのうちの1本だけを見据えた。
 ハヤトの薬指。
 そこに、指輪を。
 俺が気に入った、欲しかったハヤトと揃いの、ずっとずっとの約束の印を。
 情けねえけど、すげえ指先震えてる。
 ハヤトの指も、なんかちょっと似たような感じっぽい。

 嵌めた後、左手同士を繋いだ。
 かちっ、と指輪同士が触れあった。
 俺らの気持ち同士が一緒の方を向いた、って感じた。
 感じた想いに動かされてくハヤトと俺は、空いた右腕を背中に回しあってぎゅうっと抱き合ってる。
 その割に柔らかくってゆっくりな、これ以上ねえってほどのあったかいキスをした。


 キスの後、ハヤトは膝立ちになって、座ってた俺の背中に覆い被さって来てる。
 首んとこから腕を回して、俺の左手の指輪をくりくり撫でてた。
 俺は俺で、そのハヤトの左手を右手で覆って、俺のと同じ指輪に触れる。
「これ、な」
「ん?」
 小さく声を掛けたら、小さく返ってきた。
 それへ向けて次を訊いた。
「この指輪、お前、あんま気に入んなかったんじゃねえのか?」
「え、まさか」
 意外だ、って声がこめかみに響いた。んで、密着してたハヤトの頭がちょこっと離れたのを感じる。
「何でそう思った?」
「あん時、お前あんまテンション上がってねえな、って見えたから」
 答えたら、ハヤトは俺の背中から離れた。
 そのまま俺の正面に来て座り直して口を開く。
「そんなことないけどな。あ、でも、そうか。オレ、テンション低く見えたのか」
 おう、って意味で頷いた。
「じゃ、オレってけっこう顔に出さずにあの局面を切り抜けられてたんだ」
 言ってハヤトは、にいっと笑った。
「ほら、さっき言っただろ? あの瞬間に、絶対これはオレからリュウジに贈りたいと思った、って。そう思いついたらさ。オレ――うん。あのときかなり緊張してたのかも」
 『あのとき』を思い返しながらの言葉なのか、今度は視線は斜め上を向けている。顔がそっちを向く間に、笑い顔は収められていた。
 自分で自分に納得したって具合でハヤトは続ける。
「なるほど。リュウジの記憶にあるオレって、緊張してるオレなんだ、多分」
「緊張? 何でだよ?」
「思いついたことがリュウジにバレませんように、って精一杯だったし。それに、ほら。やっぱり、今日のこと――リュウジにプレゼントする場面を想像すると、ね。それなりに」

 ハヤトの目は天井から、俺の左手に落ちて来てる。
 視線を移動させる時にちらっと見えたその表情は、どういう訳だか照れた感じに見えた。
 俺とふたりっきりの時だって、他の連中と一緒にいる時だって、暗黒の奴らとぶつかり合って勝負になった時だって――いつでも余裕ある態度を崩さないでいるハヤトが突然見せた、いつにない雰囲気だった。
 何だかそれに、どきっとする。
 どきっとしたのが更にどきどきに変わってく。いつになってもどきどきすんのって、実はすげえ嬉しいことなんじゃねえのかな、とか思った。
 それがハヤトにも伝わったみてえだ。
「あはは。何だろ、変だな。オレ、今すごくどきどきしてる。あのとき緊張したの、思い出したからかな?」
 笑いを含めて言ったハヤトは、俺の顔をちらっと見てから速攻で言葉を継いだ。
「これ、最初からオレもすごくいいなって思ったんだよ。リュウジに『これ、どうだ?』って言われた最初から。まるでリュウジがオレの趣味をわかってて選んだのかってほど、デザイン気に入ったし。それで、指に嵌めてみたらもっと『これだ』って気がした。っていうか、むしろ『これ以外にない』ってくらいは思ったかも」
 俺と一緒だ。まるっきり一緒だ。
 これ見ていいなって思ったことも、これを嵌めてみて強く感じたことも。
「だから、どうしてもリュウジにはオレから、って――ああ、でもオレ、本当にわがままでごめん。よく考えたらあんなに気に入ってたんだから、すぐに買えばよかった。今日まで待つことなかったかも。あのときにリュウジが何て言ってもオレがふたつとも買ってもよかったんだ。だって実際、一緒に嵌めたら想像以上にうれしいんだ、オレ。おかしいな。リュウジに喜んでほしいのに、オレのほうがうれしいかも。なんか、ほんとにごめん」
 一緒なんだけど、やっぱハヤトはハヤトで、俺とは違うんだな、って思った。
 ハヤトは緊張するといつもよか喋るんだな。
 でもって、俺は真逆だ。全然話す言葉が見つかんねえ。何か言おうとすると変にどもったり、言いかけて言えなくて収拾つかなくなんのが俺だ。
 だから、がばっと抱きついた。
 緊張してっけど、何か言うよかこっちのが俺の気持ちを伝えらんじゃねえかって思ったからだ。
 抱き返してくれるハヤトの腕は、まるで俺に甘えてすがりつくみてえな感じがした。

 しばらく黙って抱きしめて、ハヤトも黙って俺の腕ん中にいた。
 お互いの心音を確かめながら、呼吸を整えてく。
 一緒にいるとどきどきすっけど、でも、一緒だからこそ落ち着くってのもある。
 こうしてるのがごく当たり前で、自然なことだっていうのがやたらと嬉しい。
 あー、俺、今までこんな幸せな誕生日って過ごしたことあったんだっけか? だとか、しみじみ思ってた。
 そんな俺に対して、やっぱハヤトは結局のとこハヤトだった。
 ぎゅっとした腕の圧力をそっと解いたら、ハヤトの顔が上向いた。
 真っ直ぐくれる視線は、もうまるっきりいつも通りの余裕のもんだった。
「それで、リュウジ。今夜は大人向け? それとも子供向け?」
「ええっ……!!!」
 それを受けた俺も、いつも通りのまるっきり余裕ねえ答えしかできねえし。
「ど、どっちでもいいっての。もう」
「あ、そう?」
 ハヤトはにやっと笑った。あんま子供向けっぽくはねえ方向で。
「それじゃ、これで」
 って。
 子供向けっぽくねえ感じのくせに、次の行動はあんま大人向けっぽくもなかった。
 ちゅう、ってしてくれた。
 俺のほっぺたに。ごく軽く、わざと唇で音は大きく作って。
「はい。今夜はこれでおしまい」
「え……これ、で、か?」
「ん。もう夜も遅いし。そろそろ眠ろうか」
「……お、おう」

 答えた俺の前で特攻服を脱いで、パンツだけになったハヤトは先にベッドに沈み込む。
 くいくい、って手招きされたから、俺も特攻服の上着を脱ぎ捨てて……つっても、何か。
 下、脱ぎ辛え、っつーか。
 だって、しょうがねえだろうが!!!
 ハヤトが脱いでるのとか、ビキニいっちょになってんのとか、ベッドん中で待ってんのとか、あんな目で俺のことじっくり見てんのとか……!!!
 ええっと。
 なんか……もぞもぞ、すんだけど。
 うっかり……勃ってんだ、けど。
 ちょこっと……よか、もうちょっと、濡れて、来てんだ、けど。
 これ、こういうのって、ハヤトも一緒って、思っていいのか?
 
 それでももう、さすがに引っ込みつかなくって、俺もトランクスだけになってハヤトがめくった掛け布団の内側に潜り込んだ。
 素肌の胸をくっつけ合って、互いの匂いを嗅ぎ合って。
 んで、手を繋いだ。
 横向きあった体の側面で、ハヤトの右手と俺の左手。
 胸と胸の間の隙間に、俺の右手とハヤトの左手。
 左手の指輪を、右手にも感じる。
 ハヤトのくれた嬉しさが全身に回ってくるのを感じながら、囁く声を聞いた。
「リュウジ。もう一度訊くけど。ほんとはどっちがいい?」
「え……どっち、ってのは?」
「今から、どうする? オトナ向けがいい? それとも、こども向けのままでいい?」
「ええ、っと、な……?」
 あああ、もう。
 これ、答えねえと駄目なのか?
 いや、駄目ってことじゃなくっても。俺、ちゃんと答えたい。答えねえと無理、だ。
「お、俺っ、大人向け、が、いい、んだ、けど……ハヤト……?」
 もぞもぞしてんの止められねえ俺の腰をぐっと抱き込んで、くすっと笑ったハヤトの声が俺を包む。
「ん、了解――誕生日おめでとう。リュウジ」
 言葉を連れた唇が、俺の額に降りてくる。
 声のもたらすひそやかな振動を体の芯で感じながら、思わずぐっと握った左手にある約束の重みが嬉しくて。
 今日ばっかりはそんなんに溺れさせてもらいたくて、唇に唇を、ねだった。


   * 完 *



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