promise 《7》





 かなり長いこと、一緒にいるだけで心地いい、静かに流れる時間をハヤトとふたりで味わっていた。
 階段の下も静かなままだ。ってことは親父さん、しっかり眠ってんだな。安心したぜ。
 ふと目線をずらして、ベッドの頭んとこにある目覚まし時計の針を読んだら深夜1時を回ったとこだった。
「お、もうこんな時間か。結構経ってたんだな」
「そうだね。来たの、遅かったし」
「夜中に邪魔して悪かったな」
「全然。っていうより来てくれて本気で助かった」
「わはは。どってことねえよ」
 なんて、いつもの軽い調子が戻って来る。それでも嬉しいのは変わらねえままなのが不思議なような……じゃ、ねえのか。
 俺、いつも嬉しいって思ってたんだな。今になって気付いた。
 ついついにやけそうになるのを抑えようと試みながら、なるだけ普通の声で言う。
「んじゃそろそろ帰るわ」
 背後のベッドに腕を突いて、そこを支えに立ち上がろうとしたとこでこう返ってくる。
「あれ、そう? 明日、店は早番?」
「いや。昼も夜も休みだぜ」
 明日は土曜だ。ここんとこにしては珍しく、バイトの兄ちゃん連中が全員シフト入ってるんで俺は非番ってことになっている。
「それならいいじゃん」
 にいっ、と唇を横に伸ばして笑顔を作るハヤトが俺を間近で見てる。
 うわ、何だよもう。そういうの俺、どきどきするっつーの。

「明日、一日空いてる?」
 ハヤトの声が弾んでた。
「おう。まあ、特に予定はねえけど」
「なら決まり。明日一緒に出かけよう」
 とか言いつつ、ハヤトはいい顔して俺の目を覗き込んで来る。
「いいけど、出かけるってどこ行くんだ?」
「それは今から考える。リュウジに喜んでもらえるプランにするから安心して」
「ええっ? 俺が喜ぶ、ってのは?」
「あはは。深く考えないでいいって。お礼だから。親父が風邪ひく危機を脱するのに手を貸してくれたリュウジへの、息子からのお礼」
 お、何か珍しい雰囲気じゃねえか? ハヤトの顔がいたずらっぽい感じに笑ってる。
「わはは。なるほどな。そういうことなら遠慮なく喜ばせてもらうか」
「ん。任せて」
 ガッツポーズしてるハヤトに、俺も拳を作ってこつんと合わせた。
「そしたら明日は朝ゆっくりめに起きて、一緒に出かけよう」
「ゆっくりめ、って。お前のゆっくりだと朝って言えねえんじゃねえか?」
「あはは。大丈夫だって」
「……どうだか怪しいもんだぜ」
 腕組みをして、大袈裟にため息ついてやった。どうせ昼だろ、昼。
「まあまあ、そこはどうにでもなるよ。だってリュウジが起こしてくれるだろ?」
「お、おう。そりゃな? 起こすけど」
「それなら安心。じゃ、オレを起こしてくれる係として、今日は泊まってって」
 って、そう来るのかよ!!! 強引すぎねえか?
「まったく。しょうがねえな」
 そうとしか言えねえっての。あーあ。ってか、そんな、うしし、みたいな顔して笑ってんじゃねえっての。本気でまったくしょうがねえよな、ハヤトの奴。

 俺を巧いこと嵌められたって感じのうしし笑いは、すぐさま引っ込められている。
 しょうがねえとか言った俺がつい何となく頭を触ってた手首をくっと掴まれた。
 そのままハヤトの体が俺の正面に移ってくる。
 それでもって、空いてる方の左腕が俺の腰に回って来てて――ごく自然な流れのキスをハヤトが俺にくれている。
 あー、もう。楯突く暇もねえ、って。
 だってハヤト、すげえ上手なんだもんな。こういう流れ、作るの。
 う、わ……すげ、やべぇ、って!!!
 ちょこっと口ん中、舌で辿られてるだけで……う、ゎ、何だってんだ、俺……。
 俺の下唇を、ハヤトの上下の唇がそっと挟んだ。その奥の舌が右に左になぞってく。
 それだけで、ぞくっ、とする。
 それだけなのに、ずきり、と来る。
 ってか何でバレてんだ?
 何だ、よ、その手……腰から移った左手が、膝とか腿とか、撫でてんだけど。
 わ、わ、ちょ、待て、って!!!
「うわ、だから!!! そ、んな、触んな、って――の……」
 思わず自分からキスを逃れて言った。
 我ながらおかしい、よな。語尾が変に弱くなってるのは自覚出来たし。ぜってーハヤトにバレてるし。

 逃げた俺の顔の前にまた、ずいっとハヤトの顔が近づいて来た。
 ううう、だーかーら、っ!!!
「どうした?」
 ちきしょう。ハヤトときたら、しれっと訊いてくる。
 ……いくら何でも言えるかっての。勃って、きそうだ、とか。なあ?
「いや、どうしたっつーか。ハヤト、お前、いつもそんなんじゃねえかよ……」
 だから代わりにこう言っといた。若干語尾がぴりっとしねえままなのが心外だ。
 そしたら次はこうだ。
「え。そんなん、って。だって、それはリュウジがそういう感じになるからじゃん」
「ええっ?」
 そんなこと言われることのほうがよっぽど心外だっての。
「馬っ鹿、お前!!! 俺がいつ、そんなんだってんだよ!!!」
「いつ、って。いつも?」
 だーーー。何言ってんだよ、こいつはもう。
 俺じゃねえだろ? お前じゃねえかよ。お前がいっつも妙なアレコレ仕掛けて来るから俺が……そのう、乗せられるっつーか、煽られるっつーか、いや、それはヤなわけじゃねえんだけど、認めんのもやっぱアレっつか照れるってか、ううう。
 あああ、どうしたらいいんだ俺は。
 何て言ったらいいんだか解んねえけど、とにかく……何か言わねえ、……と!!! うあぁ、前、んとこ、指、っ!!!
「いつも、って、有り得ねえだろうが!!! 俺、知らねえ、から――うわ、だから、そんな――すんな、や、って!!!」
 売り言葉に買い言葉、みたいな感じになっていた。
 言ったついでに腰を浮かせてる。
 でもって、ハヤトの指から逃れてた。
 俺をいっつもおかしなとこに連れてく、ハヤトの指から。

「とにかく俺がいつもそんなんだとか、違うからな!!!」
 そんな認定されるのも癪ってか相当恥ずかしいから、立ち上がりつつ大きく主張しておくことにした。
「あれ。そうだっけ?」
 しゃあしゃあと言ってのけるハヤトに、きっと強めに視線を落とす。
 そして俺はハヤトのベッドから薄手の綿毛布を一枚剥ぎ取って、両手で抱え込んだ。
「これ借りてくぜ」
「え? 借りるって、リュウジ。どこ行く?」
「下。今日は泊まってくけど、居間で寝かしてもらうからな。俺は」
 扉の前まで行ったとこで、訊いてくるハヤトを振り返って言ってから部屋を出た。
 親父さんはあんな具合だし、ハヤトの母ちゃんも今夜は外なら誰にも迷惑かかんねえだろうと踏んでの思いつきだった。
 足音を忍ばせて階段を降りながら考える。
 まったく、ハヤトの頭ん中の俺ってのは一体どんなだよ。
 そんな毎日毎日、アレなこと考えてる奴だって思われてんのか?
 いや、若干アレなこともまあ多少の自覚はあるんだが、そこまでなのか?
 そんな、ハヤトが言うほど目に見えてアレなのか?
 階段の下まで行って、自分で閉めたハヤトの部屋の扉を見上げた。
 似合わねえって言われるだろうが、ため息のひとつも吐きたくなるって話だ。

 居間に上がり込んで、さっきまで親父さんが寝入っていたソファーの前に陣取った。
 リモコン押してテレビをつける。
 いくつかチャンネルを変えてみた。特別観たいのがあるわけでもねえが、気楽なのがいいか。お、これにすっか。お笑い芸人が街の中をぶらぶら歩いてる感じの番組。
 大きいクッションを枕にして、奪ってきた毛布にくるまってテレビ画面を眺めてる。
 ほう、これ中華街か。こっから電車で行けるとこだな。町並みに見覚えあるぜ。
 観光地って認識だからもっと人が大勢いるのかと思ったけど、そうでもねえな。ああ、そうか。テレビのシーンは平日の昼間なのか。
 土産物屋とか、見てるだけで楽しいんだろうな。原色の何か変なプリントのTシャツだとか、飾りのついたボールペンとかパンダのぬいぐるみとか、でっけえ水晶玉だとか。実際見ても買わねえだろうが、話のネタにはなりそうな品々が並んでる。
 芸人が、店の前でふかした肉まんを食ってる場面が映った。どんな味すんだろ。うちの店で作るのも結構自慢だけどな。ハヤトが旨いって言ってくれるし。
 どきっ、とした。ほんの小さいことからハヤトの名前が頭に浮かんだからだ。
 何だよ、ハヤトは。なあ?
 ……ってか、俺も何なんだ。
 何かさっき、意地になったっつーか。
 嫌だったんじゃねえのはハヤトも解ってくれてると思う。
 けど、いっつもそんなんだって思われてんのもどうなんだ?
 たまに、ってよりかは多いかも知んねえけど、そんなじゃねえ……と自分では思ってんだぜ?
 あー、よく解んねえよ。もう。

 自分で自分を持て余してるらしい。
 普段の俺ってもっと単純な性質してるはずだ。
 善いことはいいって認めるし、善くねえと思ったことにはとことん抵抗するのが信条で、それがすなわち俺らの隊の道理だって考えている。
 ノブオあたりには『いつでもまっすぐなとこが兄貴のいいとこっス』とか言われるし、ダイゴにだって『主張に裏表のないところがリュウジらしさだ』とも言ってもらえてる。
 仲間にそう見てもらえるのは喜ばしいことだし、そうあれたらいいと思ってる。
 隊の連中と一緒の時は、当然連中が想像してくれている通りの俺で在るっていう自負もある。
 なのに、なあ?
 俺ってどうしてこんなんなんだろう。
 ハヤトとふたりっきりの時の俺ってのは、何でこんなに俺っぽくねえんだろう。
 いや、俺っぽくねえってことじゃねえのか。
 だって嘘じゃねえし。
 ハヤトと一緒にいるのが嬉しくてたまんなくて、落ち着けて、でもどきどきして、やっぱ――すげえ好きで。
 でも、素直なとこをさらけ出すのが時々やたらと躊躇われたりもする。
 きっと多かれ少なかれ誰にだってそういうことってあるんじゃねえかな。
 だって、俺程度の自称単純な奴がこんななんだぜ?
 人間って結構、二面性ある造りになってんだな。とか思う。
 でもって、俺もやっぱ普通に普通の人間なんだな。とかも思う。
 
 考え事に浸ってたら、さっきのテレビ番組は終わってた。
 次の番組はどうやら続き物の外国ドラマらしい。今まで一度も見たことないからこれまでの流れがまったく理解できなかったんで、テレビは消すことにした。
 しんと静まったハヤトんちの居間。
 戸と廊下と、もう一枚の戸を隔てて、親父さんのいびきがかすかに聞こえてくる。
 今、何時だ? さっきの時点で1時だったから、もう2時近いのか?
 明日ハヤトを起こすって約束で泊まることになったんだし、もしかしたら親父さんの朝飯くらいは期待されてる可能性もあるしな。
 そろそろ寝るか。
 電気、消さねえと、な。
 ハヤトの匂いがかすかに移ってる気がする毛布から這い出て、部屋の電気のスイッチをオフにする。
 睡眠すべく暗くした部屋で、再びごろっと横になって目を閉じた。
 余計なこと考えてんじゃねえからな?
 ほら、寝んぞ?
 本来、俺は眠るって決めたら寝付きは割といい方だろ? だから、今日だっていつもと一緒のはずだよな?
 ――のはずなんだが、どうしてか眠気が兆して来ない。
 枕代わりのクッションの上で、頭をごろごろ動かしてる。
 首を右に向けたり、真っ直ぐ上向いたり、今度は左に傾けたりとか。お、真横よかちょい右のポジションが一番しっくり来るな。これでいいか。
 深く息を吸って、ゆっくり吐いて――もっかい深呼吸だ。そうすると落ち着くし。落ち着いたら眠くなるはずだ。
 ――のはずなんだが、確かに落ち着いては来ているものの、やっぱり不思議と眠くない。
 何だ何だ。どうしたんだ、俺は。ちきしょう。
 早いとこ眠んねえと、またいろいろ考えてもっと眠れなくなんじゃねえかよ。もう。

 結局俺はしばらく寝付けずにいた。
 なるだけ考え事は遠ざけて、昨日店主に言われた店の新メニュー開発案の方向に頭を持っていったものの、そう簡単に名案が浮かんで来るもんでもない。
 切り替えて、こないだ河川敷でコウヘイと対峙して負けた時のことを思い出して反省点を洗い出したり、その前に単車勝負で奴を振り切った時の勝因を細かく脳内にリストアップしたりとか。
 そんな作業も大概虚しく、やっぱ全然目が冴えている。
 電気消してるから見えねえけど、天井を仰いだ。天井のさらに上はハヤトの部屋だ。
 あいつ、今頃平和に眠ってんだろうな。
 そもそも何だって俺がここで眠れない夜を味わってんだよ、って話だ。
 ……まあ、そこは俺が勝手にやってんだけどな。
 ここんちに泊めてもらうのも、なんやかんや悩んでんのも、妙な意地とか張ってんのも、全部俺の好きでやってんだって解ってる。
 それってのも、やっぱハヤトが好きだから……だよ、な。俺。

 自分の出した結論をやたらと素直に受け入れる気になった。
 だよな。俺って、結局そうとしか言えねえっつーか。
 けど、なかなか面と向かってそうとも言えるもんでもねえっつーか。
 ああ、そうか。
 だから、なのか。
 俺が変に考え込む羽目になったのって、そこなのか。
 軽く悪戯されて過剰に反応しちまうのって、ハヤトが好きだから、が結論なんだな。
 でもって、しょっちゅう俺に軽く……いや、軽くねえことのが多いけど、悪戯しようって気を起こすハヤトも、俺と同じ、ってことなんだよな?
 んじゃ、どうなんだよ、俺。
 毎日毎日、顔合わすたびにそういう想いでいるんだし、だったら多少はアレだとか指摘されても仕方ねえってこと――か。
 どうしたってハヤトには敵わねえんだな、俺。
 解ったって。認めるっての。
 でもって、理解できたのをちゃんとハヤトに伝えときたい、って突然思った。
 そしたら落ち着いて眠れるって気がする。
 実際言うのは若干勇気が要るわけなんだが、今、チャンスなんじゃねえの?
 だって絶対ハヤトは寝てるしな。
 ハヤトの寝顔に向けてでも、念じとけば伝わるって気がする。
 そんなの俺の勝手な思いなんだけど、でもそうしたくてたまんねえ。


《戻ル》 * 《進ム》


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