promise 《2》





 そうやって朝一番で肩の荷を下ろしてからの俺は、やたらと気分よく午前中を過ごした。
 きっとハヤトも同じだったんじゃねえかとは思う。
 授業の間の短い休み時間とかに、それぞれ別の級友と他愛ない話なんかをしてる最中も、ハヤトはよく笑ってた。
 そんなのを横目で見てた俺もかなり気楽な感じで、話しかけてくる奴らと適当に喋って、先週からお目見えした購買のパンの新メニューの話とか、最近流行ってるゲーセンの対戦ゲームの話とかで大いに盛り上がったりもした。

 そんな俺らが呼び出し喰らったのは昼休みのことだった。
 いつもみたくハヤトの弁当箱からあれこれつまみ食いして、それで下らねえ口論したり、笑い飛ばそうとしたとこでハヤトが本気で怒ってるっぽいんで仕方なく、れんこんに挽肉挟んで揚げたのを献上したとこでハヤトの機嫌が直った直後のこと。
 黒板の上のスピーカーが俺とハヤトの名を呼んだ。
『以上2名、食事が済んだら職員室に来てください。繰り返します。2年B組――』
 箸を止めて、ふたりして意味不明にスピーカーを見上げてた。
「うん? 俺らか?」
「だね。呼ばれてる。何だろ」
 れんこんの挟み揚げを口の中でもごもごやりつつハヤトが俺を見てた。
 俺は俺で、ハヤトから強奪したいんげんの天ぷらを口に運ぶ。
 それはしっかり味わったけど、弁当箱に残った飯と梅干しは一気にかき込むことに決めた。そうしつつ、ハヤトに告げる。
「何だか知らねえけど、俺、ちょっと急用あるし。だから、な? お前、行って来いや。俺らの代表っつーことで」
「え? 何それ」
 もごもごと口を動かしながら、俺はもはや腰を浮かせてる。
「いいじゃねえかよ、何だって。お前が代表。な? 俺は急用で行けねえけど、ふたり分の用事を言いつかって来いって!!!」
「いや、それ、おかしいから」
「おかしかろうが何だろうが、俺、嫌なんだっての。朝昼連チャンで職員室とか!!!」
「それは知ってるけど」

 にやっと笑ったハヤトが俺の手首をぐっと掴んだ。
「一緒に、行くよ? オレ、リュウジと一緒じゃないと、行けない」
 ああ、いや、本気で振り解こうって思ったらどうにでもなるはずなんだが。
 どうしてもそうできねえ俺って、どうなんだよ。
 職員室は本気で嫌だってのに。
 つーか、何っての?
 ……ハヤトの台詞の裏、だとか。
 そんなん考えて、ぎくっとしてたりする――んだ、ぜ?
 だから、そのう……体の力が弛んだり、だとか、な?
「ん。いいから。一緒に行こう、職員室」
 宥めるみたいな、ゆっくりの口調が俺を諭してる。
「お、おう……」
 そんな感じで言われると、従わざるを得ないんだぜ? さすがに。
 ため息つきたくなってる俺が視線を落とした弁当箱に、ハヤトの箸が近づいた。
「これで最後だから、食っちゃって。オレもう腹一杯。れんこん、旨かった」
 箸が持ってきてくれたのは、卵焼きだった。
 ハヤトとハヤトの母ちゃん自慢の、俺の好みの例のやつ。
 巧いこと丸め込まれとくか、って思って箸から指、腕を伝って視線を上げる。そしたら。
 うわ、馬鹿、ハヤト……。
 何でそんな、ほっこりした表情で俺を見てんだよ、もう。
 ううう。すげえ、照れるってか。
 いつまで経っても慣れねえんだけど。
 俺にだけ、こっそり、こんな。包む、みてえな顔すんの。

 ハヤトに引き摺られて、足取り重く到着した職員室の扉を開けた。
 嫌がる俺を連れてく格好だったくせに、いざ着いたらハヤトは一歩退いてんだ。
 ……ああ、そうかよ。やっぱ俺かよ。ってな具合で。
「呼ばれたか?」
 観念して開け放った扉の向こうに声を掛けたら、うわ、何だ?
 俺らと認めて駆け寄ってくる大きな姿があった。
 でもって、その勢いのまま、手を握られてる。
 俺の左手とハヤトの右手をすくい上げた両手の向こうに、半ば潤んだ目があった。
「ありがとう、君たち。本っ当に、ありがとう。言葉にならないくらいの感謝をふたりに」
 潤んだ目で正面から俺を見て、次にハヤトを見下ろしたのは、俺らのクラスも受け持ってくれてる英語の先生だった。
 身長は俺と同じくらいある。で、横幅はダイゴと似たような具合のいわゆる巨漢で、そのくせ甲高い声の人だ。
 そのリアクションから、俺とハヤトはそうと知る。
「お。ってことは、先生がアレか? 例の?」
「指輪、先生が落とし主だったんだ?」
 ハヤトも俺もどっちも幾分気圧されながらも答えたら、英語教師は握ったままの俺らの手をぶんぶん振った。
 存分にぶんぶんし終えたあと、英語教師は身振り手振りを大袈裟に説明を始めた。
「そうだよ、そうなんだよ、リュウジ、ハヤト。いやあ、昨日、授業の合間に図書館で資料を借りて、その頃はまだ雨も降っていなかったしで。そのまま裏庭を散歩しながら資料に目を通しているうちに、落としたみたいなんだな。指輪」
 なるほど、とか言いながら、俺らはその言い分を聞いてた。

 ともあれ出てきてよかったじゃねえか、と適当に答えてやって速攻その場を去ろうとしたんだが、ハヤトが口を挟んでくる。
「でも、先生。どうして歩きながら資料を読んでただけで、はめてた指輪が外れた? そういうのって、指にぴったりのサイズに作るんだろ?」
 ハヤトの指摘を聞いたら、そう言やそうだな、って俺も思った。
「だよな。そう簡単に、歩いてるだけで落とすようなもんじゃねえよな」
 乗ったらハヤトも俺を見上げて頷いてる。
 んで、ハヤトが先生に視線を戻して、にやっと笑った。次には低めた小声がする。
「あのさ、ここだけの話。先生、もしかしてわざと外したんじゃない? たとえば、放課後、誰かに会う約束してたから、とか」
 ハヤトが言ったら、英語教師は真っ赤な顔して大声出した。
「まさか!! そんなことがあるはずないから!!」
 びっくりしたような、慌てたような素振りを見せる英語教師に、ハヤトはさらに切り込んでく。さすがうちの特攻隊長だけある。
「いや、どうかな。大人ってさ、いろいろあるんじゃない? オレたちには到底わかんないような、あれとかこれとか。密かな約束とか」
 ……って。ハヤトが言うと異常に不謹慎に聞こえるのは何だろな。
 一瞬ぎくっとしたんだが、俺以上に英語教師の方があからさまにうろたえてんだ。それ見たら、さすがに黙ってらんねえ。
「おい、まさかと思うが図星なのか? それよか、仮にそうだとしてもハヤト如きに見破られてんじゃねえってのに。先生、いい大人だろ? なあ?」

 返ってきたのは、ため息だった。その後、俺とハヤトを順に疲れたみたいな視線が巡る。
「いや――大人をからかわないで欲しいと思うよ、青少年たち」
 広い肩幅、そして逞しい首がしゅんとなるのを目の前で見てる。
「けどさすがハヤトは頭の回転、早いね。そう突っ込まれたら白状するしかないか。君たち、恩人だし。ええとね、今度はこっちから、ここだけの話……」
 英語教師は両腕で、俺とハヤトの肩を外から抱き込んだ。
 でもって、ひそひそ話が耳に入って来る。
 英語教師の『ここだけの話』は、不謹慎でも何でもなくて、でも、訊かれたところで打ち明けて話すのがためらわれれたっぽいのが次第に解る。
 言うなれば、メルヘン? とか言うのか? そんな感じのことだった。
「正直言うと、図書館で借りた資料はキリスト教の讃美歌集だった。原語と日本語で書かれている歌集ね。最初は訳詞がどれだけ原語のニュアンスに近いのかに興味があっただけだったけれど、訳詞をなぞっていたら、思い出しちゃって。奥さんとの結婚式。オルガンの音と、参列してくださった人たちの讃美歌を聴きながらお互いに指輪を贈りあった時のこと」
 そこから先は完璧に内緒話だった。
「初めて奥さんに嵌めてもらった時を思い出しながら、わざと外した指輪を嵌めてみてたり、スマートに行かなくてリプレイしてみたり、思い通りにいったらもう一度してみたくなったり。目を瞑ってひっそり繰り返していたらチャイムが鳴ってね。そこで現実に戻って、慌てて職員室へ戻ろうとしたところで落としたみたいなんだ、これ――大事な指輪を」
 ……なんつー甘ったるい話を聞かされてんだ。俺らは。

「何だよ、もう。すげえ愛し合ってんじゃねえかよ、奥さんと。ってことは、ハヤトの推理は完全にハズレか。んじゃ、まあ、それはそれで安心したぜ!!!」
 わはは、と笑い飛ばして、ついでに大声出しつつ英語教師の背中をばしっと叩いた。
 ハヤトだったら『痛い』とか文句たらたらの勢いだったんだが、幸いにも英語教師はかなり鍛えた体の持ち主だったらしくて、とりたてて咎められたりはしなかった。
 代わりにこう来る。
「そうなんだよ、リュウジ。私と奥さんは、本っ当に愛し合っているんだ。君もね、そのうちわかると思う。大人になったら。唯一無二、生涯をともにする相手との約束が、どれだけ大事なのかってこと」
 俺は英語教師に向かって大いに頷いていた。
 約束、か。
 なんかそれって、いいんだろうな。
 一生ものの約束だとか。
 ちょっと――いや、かなり、憧れる。
 俺のくせにメルヘンすぎて、俺っぽくなさすぎるから言わねえけど。
 けれどもこんな場面でも的確にキャラをこなすハヤトが、現実的なことを言う。
「それで? 大事な指輪が先生の薬指になかったこと、奥さんに責められなかった?」
「ああ、それは。責められはしなかった。君たちに言ったのと同じことを、昨夜奥さんににも告白したから。それで、今日の昼休みに探してみて、探しきれなかったら放課後に、今度は奥さんも一緒に探してくれるって言ってくれたんだよね」
 ……だからそこで、照れてんなっつーの。
 のろけてんな、っーの。もう。
 俺らの隊の奴から聞かされたんだったら、俺、確実にひっぱたいてるぜ?
 とか、うっかり言いそうになったけど、ハヤトの返しはこうだった。
「先生、ごちそうさま。弁当のあとに甘いの食った気分」

 壁に掛かった時計を見たら、昼休みの残り時間はあと10分てとこだった。
「んじゃ、そろそろ引き揚げるぜ。5時間目は実習だからな。支度しねえと」
「あれ、もうそんな? 購買行って本物の甘いの買おうかと思ったけどムリか」
 なんて言ってる俺らの手を、英語教師はもう一度軽く握った。
「リュウジ、ハヤト。本当にありがとう」
 手を離された後、俺は英語教師に向けてこう言った。
「そしたら、次の試験の点数、ちょっとおまけしてくれるよな?」
 にやっと笑ったら、腕組みされた。
「困ったな。感謝してるしお礼もしたいけど、立場上難しいな。それはそれ、これはこれ、になっちゃう話で」
「じゃ、授業中に昼寝OKしてくれるっていうのは?」
 今度はハヤトの提案だ。
「うーん。やっぱりそれはそれ、これはこれ――と言うより、君は許可した覚えがなくても、いつもちゃんと昼寝してるよね?」
「え。そうだった?」
 しれっと言ってるハヤトの頬に、緩く握った拳を寄せる。英語教師も笑ってる。
「あー、もう。いい加減しょうがねえな、お前。ってことで、こいつが許可なく昼寝しねえように、俺、ちゃんと見張っとくから」
「それは助かるな。リュウジには重ね重ね感謝しないと」
「おう!!! 任せといてくれ。つーことで、おまけ。な?」
「わかった。考えておくから」
「是非とも夜露死苦な!!!」
 そんなやりとりで話を終えて、職員室を後にした。
 ハヤトが甘い物とか言ってたのは案外本気だったらしくて、引き摺られるみたく購買まで一緒に廊下を走らされた。
 それから教室に戻って、予鈴に急き立てられながら学ラン脱いで作業着に着替えて、実習室に向かおうとまた廊下を走った。
 ちなみにハヤトは昨日俺んちから持って帰った、残念ながら俺には似合わなかった黒地に白の水玉シャツを着てた。やっぱ俺よかハヤトのが似合ってる、って思う。それだけじゃなくて、昨日ハヤトが着てたアヒル柄の……いや、それはまあ、いいか。趣味だしな。
 んで、走ってる最中にもらった、今さっきハヤトが購買で手に入れたラムレーズン入りのチョコを口で溶かしてる。
 いつものいちごのやつよか大人向けっぽい味だった。


《戻ル》 * 《進ム》


【目次ヘ戻ル】

inserted by FC2 system