promise 《1》





 多少は気が重かったものの、そうするしかないだろっつー話になって、こうなった。
 職員室とか、すげえ苦手なんだが。
 だからっつって逃げられるようなことでもねえし。
 むしろ逆に、かえって妙なことに巻き込まれるのはもっと困るわけだし。
 しょうがねえから扉を開けてる。
 でもって、声を張った。
 見知った背中があったから、そっちに向けて。
「おう、赤ジャージ」
「……む?」
 くるっと椅子をこっちに回した、俺らのクラスの担任と目が合う。
 それに向かって脇目もふらずに一直線に歩いてく。
 なのに、こいつと来たら実に、常にマイペースでやがる。
「あ、おはようございます」
 俺の背中んとこにくっついて来てたハヤトは、俺そっちのけで職員室にいた先生たちに、順繰りにご丁寧に挨拶してんだ。
 何だ、その愛想よさげな受け答えっつーのは。
 革靴から上履きに履き替える瞬間まであくびを噛み殺してやがったくせに。
 まったく、しょうがねえな。

 俺らふたり、ってか、ハヤトじゃなくても俺と隊の誰かの組合せで動く時には、大抵の場合は俺が先に切り込んで行く。それってのは、ごく当たり前の日常ではある。
 けど、ちょっと待て。
 今のこの場面っつーのは、どうだよ?
 やっぱどう考えても、何も俺が先頭切ることねえと思わねえか?
 職員室にはろくなつながりも縁もゆかりもねえ俺が先導してて、こういうとこでも普段と変わらねえ愛想振りまいてるハヤトが後続って、何かおかしくねえ?
 ……とか考えるんだが、今さらどうにもならねえっつーのか。
 まったく、しょうがねえにも程がある。
 しょうがねえけど、例の物は俺が持たされてるし。

 昨日の夕方、俺らは裏庭で指輪を拾った。
 ハヤト曰く、それはいわゆる結婚指輪なんだろう、と。
 そんな大事な、誰かの大事なものならば速攻で落とし主を捜さねえと、ってことに、確かに拾った最初んときにはそんな話になってた。
 けど、急な夕立に降られたりとか。
 それを避けるために雨宿り――とか、まあ、その続きであれこれしてたら時間が遅くなったもんで、届け出るのが半日強が経過した今になったっつー感じだ。
 いつもよか15分早くハヤトん家まで迎えに行って、いつもよか7分早く学校に着いて――ここらの時間差はハヤトがいつもと同じく寝ぼけてたからなんだが、とにかく朝のホームルームが始まる前にどうにか気楽になりてえって考えてた。
 こんなの、ずっと持っていたいもんじゃねえし。
 昨夜はハヤトが預かってくれたけど、今朝になって『見つけたリュウジが届けるのが筋じゃない?』だとか言われて、面倒だからパスって返事したんだが、ハヤトが納得しねえんだぜ、これがまた。

 今朝、並んで歩き始めるなり、ハヤトにそれを託されていた。
 するっ、と。
 しなやかで形のいい、ハヤトの長い指が俺の学ランのポケットに忍び込んだ。
 直前の会話から、例のやつを預けられただけだってのはしっかり解ってた。
 にもかかわらず、だ。
 ……いや、ってか、そのぅ、何だ?
 ハヤト、が。俺の、服んとこだとか、そのへんとか、触れる、だとか――な?
 あー、もう。
 朝っぱらから、解ってんだぜ……。
 俺が、っつーか、俺だけが確実に変なんだ、っての。
 いや、でも。
 しょうがねえだろ?
 だって、な?
 相手はハヤトなんだし。
 まだ半分寝ぼけてるくせに愛想笑いが上手だったりする奴だし。
 ってか、それだけってんじゃなくって。
 普通に生活してるだけで、どっか、こう、煽る――って、うああ、これナシで!!!
 いやもう、俺こそ何考えてんだ?
 あああ。あまりに変すぎる自覚がある。出来たら叫びたい気分だった。
 けど、そんな場合じゃねえことくらいは理解できてた。

 それなりに自制心が働いた俺は、それなりに良識ある総隊長であれたと思う。
 赤ジャージの前に立った時、しっかり見据えられたとも思う。
 だから、きちんと見返してもらえてもいた。それは解る。
「朝からここでお前の顔を見るとは珍しい。どうかしたか? リュウジ」
「おう。ちょっとな。拾ったもん、あって。んで、それ届けに来たっつーか。な?」
 ……な、ハヤト、って言うつもりだった。
 けど、言い終わる前にハヤトが頷いた。ひとつめは俺に。その次は、赤ジャージに。
「ん、そう。昨日の夕方、リュウジがこれ拾ったから」
「これ、とは?」
 朝の時間の割にはちゃっかり普通の笑顔を作ってるハヤトが、俺の学ランのポケットに手を入れた。
「うわ、ちょ――っ、あ、い、いや……」
 過剰反応しそうになって、途中でそれを引っ込めて。
 何かわかんねえけど、俺、朝っぱらから忙しくねえか?
「これ。拾ったんだろ? 裏庭で」
 俺って血圧高えんじゃねえかな、とか不安になった一瞬の間に、ハヤトは俺のポケットを探って例の丸い輪っかを取り出してた。赤ジャージにも見えるようにかざしてる。
「お、おう。だな。ハヤトが何か光るもんが落ちてたっつーんで、一旦帰った後に雨が止んでからもういっぺん戻ってきて探して、そんで見つけたんだよな」
「そうそう。発見直後に夕立にヤられたけどね」
 って、発見直後のあれこれを思い出したら当然どきっとすんじゃねえかよ、もう!!!
 ……絶対、俺がおかしな反応するだろって思ってるだろ、こいつ。だからわざとそんな視線を寄越してんだろ。
 ちきしょう。負けねえからな?
 とか思って、反射的に握った拳にぐっと力を込めてるところで、例の物はハヤトの指から赤ジャージの手に渡った。

「ほう? 指輪、か?」
 掌に乗っかったそれを見て、赤ジャージがハヤトを見てた。
「うん。それ、結婚指輪だよね。飾りがなくて、見た目でわかるくらいに年季が入ってるし。きっと誰かの――もしかしたら先生たちの誰かの大事な指輪で、それを落としたことで誰かが困ってたり、家庭不和の原因になったりしたら大問題だ、って。リュウジがすごく心配してて。な?」
 言ってハヤトは顔を斜め上に持ち上げて、俺を見る。
「おう」
 同意を込めて頷いた。
 頷きながらもどきどきしてる。
 仮に俺ひとりだったら適当に済ませちまいそうなことを、きちっと説明してくれたハヤトがどんだけ頼れる存在かってのが今さらになって、もっと解った気がした。
「なるほど。それは確かに」
 赤ジャージがにやっと笑う。
「では、責任を持って預かっておく。先生方に心当たりがあるかどうか確認しておこう」
「お願いします」
 任せっきりのハヤトが赤ジャージに頭を下げるのにつられて俺も軽く会釈しといた。
 やっぱ俺ってハヤトが隣にいねえと何もできねえんだな、とか考えながら、赤ジャージが言うのを聞いてる。
「朝から、いや、昨日からか。ご苦労だったな、ふたりとも」
「いや。全然」
 俺が先に答えたらハヤトはこう来る。
「オレはいつもより15分早起きした程度の苦労だったから」
「うわ、そういうことかよ!!! だったら俺のがもっと、すげえ苦労したっつーの。お前ちっとも起きねえし、いつもよか支度すんのに時間かかってたし!!!」
 軽く殴っといてやった。
 わはは。これでこそいつもの俺らだよな。


《進ム》


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