promise 《3》





 5時間目の実習を終えて、最終の6時間目は英語の授業だ。
 例の指輪の英語教師の担当の時間ってことになる。
 授業とはまったく別のところで個人的にちょこっとだけ話したってだけで、なんとなく担当の先生に親近感が沸いて来てるような気がする。
 なんかちょっと不思議な感じだ。
 チャイムが鳴ってから30秒とは経たずに教室の前の扉ががらっと音を立てた。
「やあやあ、君たち。ごきげんいかがかな?」
 そんな言葉と共に、充分ご機嫌そうな巨漢のお出ましだ。
 体格の割に足取り軽くにこやかに教卓についた英語教師の上機嫌の裏に、もしかしたら例の指輪のこととかもあるんじゃねえのかな。だとしたら、いくらかこっちも機嫌よくなるっつーもんだ。なあ、ハヤト? とかこっそり呼びかけようとしたとこで、耳を疑う言葉を聞いた。
「はいはい、君たち。机の上の教科書とノートは一旦片付けて、鉛筆と消しゴムだけ手元に置いて。そしたら配るね。前の席から後ろに回して」
 ええっ? これって、何だ? これってのは、あれか? まさか、あれなのか?
 教室最後方の俺が声を立てるまでもなく、前の方の席で似たような声が上がったのに対して英語教師が答えてる。
「そうそう。小テスト。簡単なやつだから、気負わずに。ちょっとした単語テストね。前の授業で居眠りせずに黒板見てた君たちなら確実に覚えてるはずの問題ばかりだ。制限時間15分で充分のはずだから」
 言いつつ英語教師は、列ごとに枚数数えて紙を配り始めてた。それを見ながら素早く隣に囁く。
「おい、ハヤト。どうなんだよ、これは?」
「どう、って。どう考えても抜き打ちテストなんじゃない?」
「いや、そりゃ解ってっけど。お前、こないだん時しっかり居眠りしてたろ? 大丈夫なのか?」
「んー、確かに前の授業の記憶あんまりないかも。大丈夫かどうかはテスト用紙見てみないと何とも言えないかな」
「って、おい。頼りねえな……」

 前の席から回ってきたテスト用紙を目の前に、俺は手にしたシャーペンをころころ転がすのが精一杯だった。
 やべえ、本当に全然わかんねえ。
 こないだの授業でこんな単語出てきたか?
 ああ、そういやこれは、おう、何となく記憶の片隅に引っかかってるような気もする。
 でも自信ねえな。ええと、綴り、こんな感じっぽくねえ?
 ここ、「a」だったか? 「e」だっけか。
 ちょこっと隣にヒント借りとくか。そう思って首の角度を変えた俺の視界に、ハヤトの答案は入って来なかった。
 完璧に遮られてる。青い頭と学ランの背中に。
 ハヤトの奴、テスト用紙を置いた机に覆い被さって寝てやがる。
 昼に呼び出し喰らったから食後の休憩不充分だったってとこか?
 しょうがねえな。このままじゃ俺の回答欄、埋まらねえし。
 って、ああ、そうか。俺、英語教師とさっき約束したんだっけか。
 ハヤトが居眠りしねえように見張っといてやるって言ったら感謝されたんだったよな?
 よっしゃ、任せとけとばかりに、俺は持ってたシャーペンの丸っこくなってる頭の部分をハヤトにこそっと近づけた。
 ちょこっと脇腹を突いたくらいじゃ全く動じる気配は皆無だった。
 一度じゃ駄目ならもっかい、さらにもひとつ、って具合でささやかに攻撃してやったんだが、ちっとも反応らしい反応は来ない。
 そしたら、もっと本格的に攻めるか?
 それに俺、英語教師に大見得切った手前っつーのもあるしな。わはは。
 んじゃ直接攻撃開始だぜ!!!
 おい、こら、ハヤト。目ぇ覚ませっつーの。ほれ、しっかりしろや。な? でもって、ちゃんとテスト用紙に闘いを挑めっての。お前、許さねえぞ? 今ここで問題解かねえのって敵前逃亡じゃねえかよ。俺、そんなの善しとしねえからな。解ってんだろ?
 まあ、な。参考までにその闘いの手順をちょこっと覗かせてもらえたら、それだけで俺としたら満足なんだが。
 ちょこっとだけでいいんだぜ? そのう、1問目のヒントとか。4問目の、書いたはいいけど綴りが微妙なとこだとか。な?

 問いかける気持ちを込めたシャーペンの頭を、眠りこけてるハヤトの学ランの首の後ろにそろっと寄せる。
 んで、触れた部分を、襟の内側に向けてつつっと辿る。
 もぞっとハヤトの背中が動く。机に突っ伏した口からくぐもった呻きが洩れたのが解る。
 よしよし、そうだ。もそもそされてんのって、気分よくねえだろ? ほれ、こんなん、くすぐってえよな? だからお前、そろそろ起きろって。
「そうじゃねえと困るっつーの!!!」
 ……とか、思った。と、思った。
 けど、思っただけじゃなかったらしい。
 ついうっかり、言ってた。らしい。
 言ってたっつーか、むしろ思ったままの勢いで。静まってた教室に響き渡る勢いで。
 うわ、やっちまった。
 教室最後方の席の俺を振り返る級友どもの視線を感じる。
 それだけに留まらず、だ。
「何が困るって?」
 机と机の間を、監視しながら歩き回ってた英語教師が間近に来てた。
 でもって、俺をじっと見下ろしてる。
「ええっ、い、いや」
 一瞬怯むのはしょうがねえよな。だって想定外だし。
 いや、しかし。声をあげたのは俺の一方的な失態なんだが、そこらへんは取り繕っておかねえと沽券に関わるじゃねえか。
 言い訳するみたく、英語教師を仰いで言ってる。
「だって、こいつ寝てんだぜ? テストそっちのけで。だから俺、時間切れになったらこいつのためにならねえと思って、起こしてやろうと思ってよう」
 言い訳してる俺の声だけが教室に響いてる。
 級友どもは、どいつもこいつも面白がってる目を俺に向けてる。ただひとりを除いて。
 本気でまだ寝てるんだか、体を起こすタイミングを逃したからなんだかわからねえけど、ハヤトはこの時点でまだ顔を上げる気配は無かった。
 ……まったく、こいつ、肝が据わってんだよな。

 こんな時のハヤトに較べると小者でしかねえな、と自覚してはいるんだが、俺は俺なりに主張しときたいってのもあるわけで。
「だから、な? さっき、職員室で言ったろ? 俺、こいつが居眠りしねえように見張ってるから、っつーの。それを忠実に守ろうとしてんだぜ?」
 言ったら腕組みしてる体勢のままで、英語教師がうんうん、と頷いた。
「そうかそうか。それは僕も助かるし、いい心掛けだと思うよ、リュウジ」
「だろ? そうだよな!!! わはは」
 苦し紛れに笑ってる俺を、教室中が見てた。
 問題解く手を止めて、考えてる頭を切り換えて――ってか、クラスの何人が真剣に試験に取り組んでたのか知らねえけど、ここに至ってほとんど全員目の前の紙そっちのけの顔でこっちを見てた。
「うんうん。でもね、君、正直言ってハヤトの力を借りようとしてなかった?」
「ええっ、い、いや、そんなんでも、ねえっての!!!」
 どうやら俺の否定には一片の説得力もなかったんだろう。
「あのね。僕、不正反対」
 とかって、一刀両断されてるし。
 しかも――後ろめたい立場の俺はそれ以上の言葉もねえわけで。
「まあ、でも。リュウジの気持ちはわかるよ。小テストとは言え、隣で熟睡されててもね。だから、ここは僕に任せといて」
 そう言ったと思いきや、英語教師は瞳をきらっと輝かせてた。
 で、次の瞬間、素早く手が出る。
 英語教師の両手がハヤトの耳をそれぞれ抓り上げてる。
「おいハヤト、そんな気分良さそうに寝てんじゃねーぞ!!!」

 まるで俺がハヤトに怒声をかけるみたいな台詞を英語教師は放った。それだけじゃなくて、本来の甲高い声をわざと作って低めてた。
「ん……うわ、リュウジ、ごめん――ちょ、痛いって……待って、って、もう、ちゃんと起きるから、手、それ――痛いから許して……リュウジ!!」
 ハヤトは完璧俺の仕業だと思って俺を名指ししてる。
 あー、もう。馬鹿ハヤト。俺じゃねえよ。
 そう言う代わりにため息ついてる俺の周囲には、笑いが起こってる。
 ちょっと前までテスト用紙に向かってた俺らの級友も、直接手を下してハヤトにそんなん言わせた当の本人の英語教師すら大いに笑ってんだ。
 んじゃ、しょうがねえよな。俺もノっとくぜ。
「許さねえっつーの。お前が悪いんじゃねえかよ。ちゃんと問題解いてから寝ろって。でもって、回答欄全部埋まったら俺に見えるように巧いこと調整してから突っ伏せっての!!!」
「え。けど、それもどう――なんだ?」
 顔面の半分だけ持ち上げたハヤトが俺に問いかけてくる。
 本人には自覚ねえらしい。
 今が授業中かつ小テストを課せられてる場面だってのも、教室中が妙な笑いをひそめてることも、すぐそばに英語教師が控えてるってことも。
 知ってか知らずかハヤトは言ってる。
 まるっきり日常みたく。
 まるっきり、俺が毎朝聞かされる言葉のまんまの応用を。
「ん……わかった。リュウジ、あと5分。そしたらちゃんと起きて、きっちり……する、から、OK――だよな?」
 許可した覚えなんかねえんだけど、一瞬だけ平和な表情を見せた後、ハヤトはふたたび寝に入った。
 ……何だよ、これは。ってか、何だっつーの。
 お前、本当に解ってんのかよ?
 日常的に慣れてる俺はいいとして、他の連中にもしっかり聞かれてんだぜ? ハヤトの得意の『あと5分』っての。
「あー、もう。好きにしろっつーの」
 そうとだけぼそっと呟く以外に俺にできることは何もなかった。
 ハヤトは知らねえらしい。
 5分どころじゃなくって、あと3分経ったら試験用紙を回収する時間になるってことを。

 この時点で俺の試験の点数がアレだってのは明白だった。
 頼りにしてたハヤトがこの有様だから、俺も当然共倒れってことだ。
 まあ、何っつーの? 同じ運命を辿ってるってことで。わはは。
 けど、英語教師は俺にはおまけしてくれるんじゃねえかと思うからどうにかなるだろ。
 例の指輪のこともあるし、一応約束通りにハヤトの昼寝の見張りしてるとこも見せられたしな。
 いや、しかし。
 結局のとこ散々だから、ちょっとばっかりどうなんだ?
 結果ハヤトは起きねえし、そもそもおまけしてもらおうにも俺の試験用紙って、見事に空欄ばっかりなんだが。
 これでおまけを期待するって、やっぱアレか。ちきしょう。


《戻ル》 * 《進ム》


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