promise 《5》





 ハヤトん家の店の前に自転車を駐めた。単車だったらいざ知らず、さすがにこれをわざわざ引っ張ってってガレージに入れてもらうのも何だし、ってことで。
 見上げた窓はまだ電気が点ってた。
 鍵を抜いてから毎朝の定位置に移動して、窓に向けて毎朝のそれよりは控えめに声を放った。
「おおーい、ハヤト、まだ起きてっか?」
 ゆらりと動く気配があった。カーテンに影が映って、いくらも待たずに影が姿になる。
 カーテンのけて窓も開けて俺を見下ろすその顔は、よくある朝よかよっぽどしっかり俺を見てた。
 こくこくっ、と2回首を縦に振りながら、窓枠に手を掛けたままのハヤトの返事が降りてきた。
「起きてる」
 言うと同時に親指を立てて、くいくいっ、と合図をくれた。
 親指は背中側に向いている。背中の向こうにはハヤトの部屋の扉があるってことで。
「おう」
 小さく答えて頷いて見せる。
 そしたらハヤトは窓から離れた。
 だから俺も、毎朝の定位置から移動する。

 移った先はハヤトん家の玄関だ。到着したのは俺のが若干早かったけど、ほとんど同時に内側から扉が開いた。
 でもって、現れる。
 Tシャツとグレーのスウェットのラフな――っつーよりもほとんど寝間着の格好なくせに、それはそれで何か決まってるように見えるのがどっか悔しいような、けど嬉しいみてえな奇妙な気分をもたらす、飾らない素のままのうちの特攻隊長ってか、俺の、ハヤト、が……って、うわ、何だ、それ――ああ、いや、しかし。それはそれで嘘じゃねえっつーか、偽ってねえっつーか、心底そう思ってるっつーか想ってるっつーか!!!
「リュウジ、どうした?」
「あ、ああ、いや、何でもねえって。わはは」
 だとか取り繕ってみる。
 ……言えるかっての。俺、どんだけハヤトに惚――じゃねえって!!! ちょこっと考えるだけでもっと言葉にできねえ感じになってんだけど!!!
 こういの何てんだ? 自給自足、じゃねえよな。自業自得だっけか? いや、自ジョー自バクとかって響きだったか? こないだ授業で出てきた言葉に近いのがあったかも知れねえけど、思い出してるゆとりもなかったりとか。

 けど、続いたハヤトの言葉に自分を取り戻した。
「何でもないって顔じゃなかったけど? 今さっき、窓越し、すごく真剣な表情だった」
 そうだった。俺、単にハヤトの顔が見たくてここまで来たんじゃねえんだった。
 一瞬飛んでた本来の意図を引き戻して、ハヤトに訊くことにする。
 念のため声は出来るだけひそめた感じにしとく。
「おう。ちょっと、な。気になったっつーか。なあ、ハヤト。親父さん、どうかしたのか?」
「え――リュウジ?」
 俺が言ったのを承けて、ハヤトは俺の顔をまじまじと見た。言葉の尻には疑問符付きだ。
「うん? ってか訊いてんの俺だろ?」
「ああ、それは、うん。でも――」
 つと言葉を切って前髪を掻き上げて、そのついでみたくして俺を見上げるハヤトの目。
 でもって口は次を言う。
「親父が心配かけちゃったか。ごめん、リュウジ」
「ええっ、いや、そんな、ごめんとか言われるほどのもんでもねえだろ?」
「じゃあ、ありがとう。こんな時間にわざわざ来てくれて」
「どってことねえよ。俺、お前ほど寝ねえと駄目ってわけじゃねえし」
 そう? って顔したハヤトの掌が俺の頬に触れた。
 そっからふわっと全身あったまる。
 ハヤトの手が、ってよりも雰囲気が、なのか。どっちでもいいんだが、あったかいのって、ほっとするな。

 お邪魔するぜ、と言おうとしたけどハヤトに目配せされたんで、頷いて黙って靴を脱ぐ。
 上がらせてもらったところでこっそり訊いた。
「親父さん、寝てんのか?」
「うん。困ったことに寝入ってる。ほんの30分前まで荒れてたけど」
「ええっ? 荒れてた、ってのは?」
 びっくりしてうっかりした。つい大きい声が出る。
 うわ、悪い――って、半歩前にいたハヤトが振り向いたところへ視線をやったら首は横に振られた。
「起きないから大丈夫」
「そ、そうか?」
「ん。それに、荒れてたって言っても暴れてたわけじゃないし。いつもより酔いが回るの早かっただけ、かな。泣いてたから」
「え……ええっ?」
 さらにびっくりしたけど、今度はうっかりしねえように気をつけた。
 にしたって、親父さんが泣いてただと?
 いや、確かにさっき、うちの店で見かけた時の様子は尋常とは思えなかったし、そもそもだから俺もここに来てんだし。
 何かこう、よっぽど何かあったっつーことか? ってか、それに俺が介入してよかったのか? うわ、俺、ものすげえ余計なことしてんじゃねえか――若干不安が訪れたところで気がついた。
 ハヤトは、自分の部屋に続く階段を通り越して居間の前で立ち止まった。

 意外だった。飯時にお邪魔する時と店に用事があって来た時を除いて、俺が来たら直接ハヤトの部屋に上げてもらうのが常だからだ。
 引き戸をそろっと開けながら、俺を見たハヤトが表情を緩めてる。
「正直、来てくれて助かった。どうしようかと思ってたとこ」
「うん?」
「これ。どうやって寝室まで運ぼうか、って。このまま見捨てるのもかわいそうだけど、オレひとりの手には余るな、と」
 扉の前に立ったハヤトが背後に向けて親指を向けてる。
 指の示した先には親父さんがいた。
 つけっぱなしのテレビの声よか派手ないびきをかいて、多分ソファーに掛かってたカバーらしき布をたぐり寄せてそれにくるまって、大きめのクッションを抱いた格好で床にごろっと転がってる。
「うわ!!! 何でこんなことで寝てんだよ? さすがに風邪ひくだろって!!!」
 思わず反射で、声音をひそめることもなく言っていた。
 寝入った親父さんは無反応だった。でもって、親父さんの息子も大概呑気なもんだ。
「だよな。オレもさっきからそう言ってるんだけど、親父、全然聞いてくれなくて。挑戦してはみたんだけど、オレじゃ上半身起こしてやるのが精一杯だったからあきらめた」
「ってか、お前。あきらめるにしても、せめて毛布くらい掛けてやったらどうなんだ?」
「ああ、そうか。なるほど」
「あー、もう、感心してる場合じゃねえだろうが!!!」
 ……まったくしょうがねえマイペース親子だよな。ため息出るって話だぜ。

 親父さんたちの寝室は居間の向かいの和室だった。恐らく唯一、ここんちで今まで俺が入ったことのない部屋だ。
 さすがに俺が押し入れ開けるってのもはばかられるから、布団はハヤトに指示を出した。
 どっちが親父のなんだろ、だとか、重い、だとかの声やら、意味不明にどたばたした音を立ててる気配を感じつつ見守っている親父さんは一向に目を覚ます雰囲気はなかった。
 布団の準備が整うまで、そういや今日はハヤトの母ちゃん見てねえな、とか考えていた。
 そうか、母ちゃん出かけてんだ。
 だからうちの店で晩飯だったってこと、なんだな。
 でもって、いつもだったら陽気で楽しげに酒飲んでる親父さんなのに、泣いてたとか言ってたよな、ハヤトは。
 まさかとは思うが、ものすげえ深刻な事態だったりするんじゃねえのか。
 ハヤトがいつもみたくあの調子だから解りにくいんだが、もしかして、って考えたら今さらぎくりとしてしまう。
 寝入って床に転がって、いびきの合間に『ん』に濁点がついてるみてえな喉声を出してる親父さんを眺めていると、向かいの部屋からハヤトがこっちに戻ってきた。
「お待たせ。布団、敷けた」
「おう、ご苦労だったな」
 そっち向いて答えたら、ハヤトは首を傾げてる。
「あれ? なんでそんな微妙な顔してる?」
「うん? 微妙? って、どんなだ、俺は」
「いや、どんなって言うか。微妙、としか」
 なんか微妙な会話にしかならなかった。
 ってのも、そもそも俺が微妙な顔してたらしいからしょうがねえのか。

 ハヤトとふたりして親父さんを寝室に運んでく。
 俺が親父さんの両脇に腕を入れて持ち上げて、『せーの』でハヤトには足の方を担当させた。
 ハヤトよか背が高い親父さんの体を運んでる最中、がくっと腰が落ちてたけど、まあほんの廊下越しの短い距離の移動だから問題ねえはずってことにしといた。まさかこれしきで腰をおかしくしたりはしねえだろう。いや、そうあって欲しい、と願いつつ。
 寝室まで運んでから気付いたんだが、何でかハヤトは敷き布団の上に普通に掛け布団をかぶせた状態でスタンバイしてた。だから仕方なく、親父さんの体を一旦畳の上に下ろして、でもって掛け布団を裏向きにめくっておいて改めて『せーの』で持ち上げて、やっとこ布団に寝かせる作業が完了した。
 ハヤトが寝室の電気を消して、俺は親父さんの安眠を祈りながら出来るだけそっと戸を閉めた。


《戻ル》 * 《進ム》


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